畝山さんのサイト
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/
松永和紀さんの著書「メディア・バイアス」に紹介されていたサイトです。
食品の安全性についての確かな情報を得ることができそうです。
人と人とをつなぎ合わせていく中で、さまざまなプロジェクトを生み出して面白い社会をつくることを目指します。考えるところがあって、生活プロデュース工場をメッセージ工場という名に変更することにしました。
松永和紀 著 光文社新書298
この本は日本国民全員に読んでもらいたいと思える本です。義務教育の現場での教科書にしても良いかもしれません。あやしい情報についての真偽だけでなく、その情報が伝えられた経緯などについても語られていたりします。テレビ番組におけるねつ造事件についても触れられており、その事件の報道のされ方についての問題点にまで言及されています。レタスが取り上げられた回で放送された実験を行われた研究者がその直後から事実と異なる内容が放送されたということを語っていらっしゃったのに、誤解されて(報道番組を見ただけで、私自身も誤解していました)報道直後からバッシングを受けたことなどの真相についても書かれています。
マイナスイオンの有効性を信じ、遺伝子組み換え食品に過剰に反応したり、食べただけで痩せる食品の存在をついつい信じてしまう人は、ぜひとも読んでおくべき一冊です。
香山リカ 著 講談社現代新書1889
著者の他の著作物と同様に、示す論旨が非常に明確です。日本人の体、こころ、ものを考える力、など、さまざまなことがらにおいて、劣化しているという傾向を読み取れるということが、示されています。今ある自分自身についても、その姿を見直すきっかけになる本です。自分だけが良ければ良いと考える風潮やその考え方を批判しながら、最後には、その対処方法として、そういう考え方に則って行動しても損なのだということを示唆することが有効であると述べられています。あとがきの最後に著者自らが劣化する前にこの本が書けて良かったと語っていますが、劣化を防ぐためにも、この本に参考文献リストが付いていればなお良かったと感じました。
春にリニューアルして、グループワークでPCを操作して映像編集などを行う教室が見違えるようにおしゃれな空間に生まれ変わりました。白を貴重に緑をポイントに置くというコンセプトでつくられています。これまであった黒板を取り外しました。初めてのお披露目授業で、教室に入って行ったときに聞こえてきた学生の一言が印象的でした。「前がない!」 確かに、これまでの教室は黒板があって、そのことによって前後というものが存在していました。なるべく後ろのほうに座っていようなどという選択がリニューアルされた教室ではできないようです。
自宅のちっちゃな庭ですが、しばらくぶりに手入れをしました。
株立ちのアズキナシとカエデの一部の枯れた幹を切り、
ツバキやキンモクセイの枝を透かしました。
半日以上かかって、やっと夕方になんとか終了し、
玄関周りがすっきりしたと共に、
身体のあちこちには若干の疲労を感じています。
家にかかるコスト、家の価値をどうみるかということは、
普段の生活のあり方に大きく左右されます。
作業に集中する中で、
手入れをしたり手間をかけたりすればするほど、
家というものが持つ、生活のステージとしての役割を発揮させて、
有効活用していることになるのだと、改めて感じていました。
スローキャリアという本に、幸せのキャリアをつくる10の行動特性というものが書かれています。
その本には、14の企業の20代後半から40代前半の2400名の社員への80項目の質問の回答を集計した分析結果について、解説されている箇所があります。その結果から、やりがいや充実感をもっていることと相関の高かった行動特性をピックアップして、その10個の内容が示されています。
私自身は、それを読んで鳥肌が立つように感じました。それは、何か見透かされているかのように、自分自身の普段の行動特性が、見事にそこで示されている項目に合致していたためです。どうりで普段から充実感を得て仕事できているんだと、改めて納得・確認してしまいました。
高橋俊介 著 PHP文庫
キャリアに勝ちも負けもなく、キャリアアップというようなことを目指す上昇志向である必要もないという観点から、スローキャリアという捕らえ方が紹介されています。一般的にキャリアについて誤解されているだろうということの問題点の指摘に始まり、問題設定能力などキャリアデザインしていくにあたり重要であることがらについて、具体的な例を交えながら述べられています。就職活動中の学生はもとより、自らのキャリア形成を考える社会人、さらにはキャリアカウンセリングを行う方々にも、ぜひお読みいただきたい一冊です。
雑誌SPAの4月10日号に
説明会の参加者は2人!「短大消滅」の現実度
という特集記事が掲載されています。
評論家の一般論、なんだこれはというようなオープンキャンパスへの記者の体験記、さらには、あまりにひどすぎる状態に逆に感心させられてしまうような、短大職員、教授、学生のコメント、などが掲載されています。
また、そこには「(企業が)短大卒を採用する必要がないんです。」とか「今や短大のみを経営する学校法人はほとんどないでしょう。」というような評論家のコメントなども載せられています。
その評論化がほとんどないという、珍しくも短大のみを経営する学校法人の短大で、企業からも欲しいと言われる卒業生が毎年多く出るという元気な短大にいる身としては、この特集記事でイメージされている短大像は、まったく別世界のようです。ここで書かれているものを短大の常識であるとするならば、驚異!こんなに元気なビックリ短大が存在した!なんて記事を書くための取材をしに、私が勤務する短大に来てもらいたいものです。
(ちなみに、すでにこの間行われた次年度募集に関わるオープンキャンパスも活気あるものでした。)
ある番組の捏造について、その経緯を調べた内容と、今後同じような問題を起こさないためにどうすべきかについて語られた番組が放送されました。科学的根拠に乏しいことがらについて、データをでっち上げて放送したものが複数あったことが示されていました。番組を見て、今回の事件の原因として、確かな情報を伝えるという根本的な姿勢が当事者に欠けていたという印象を受けました。
その番組を見終わって、ふと引っ掛かりを感じたことがあります。そもそも数多く放送されているCMにおいて、そこで与えられる情報が捏造されたものではないにしろ、効果や効能などは不明確で、商品のイメージのみが伝えられるだけのものが放映されて、その影響を受けて視聴者がものを買ってしまっているという現実です。消費者が、確かな情報を得たり、ものをしっかり考えないで商品を買ってくれるという前提でCMが放映されているとすれば、「確かな情報を提供するという根本」の根本そのものから問わなければならないのかもしれません。