芸がない
テレビ番組で芸能人が自らの私生活を見せるような企画がどんどん増えているような気がします。
それはまったく芸のない話で、芸がなくて成立するような番組をつくり続けていると、その先は闇でしかありません。
さらには、本人の私生活のみならず縁者までもが登場するとなると、これはもう末期ともいえます。そこに登場するのは、何かの演者ではなく、ただの縁者です。時間をかけて作り上げられたものをあてにしないような体制でものができあがってきていると思わざるを得ません。
人と人とをつなぎ合わせていく中で、さまざまなプロジェクトを生み出して面白い社会をつくることを目指します。考えるところがあって、生活プロデュース工場をメッセージ工場という名に変更することにしました。
建物を設計する際には、その建物が倒れないものとなるように、法律では、建築前に構造計算をおこなってその安全性を確認することになっています。その計算をするためには、そもそも建物にどれぐらい力が加わるかということが分からなければなりません。それよりも先に、どのような力が加わるかを知らなければなりません。
高校や大学で建築を学ぶ場合には、力学の計算手法について教わります。計算の苦手なひとが建築技術を修得するときには、この力学の計算手法をマスターすることが結構大変だったりするのですが、演習問題や試験問題では加わる力の大きさなどは問題で与えられていることが大半です。そういう計算トレーニングにあたり前のように慣れ親しんでいくと、そもそも建物にどのような力がどれぐらい加わるかということを決めることの難しさを意識することに無頓着になってしまいます。実際には、計算のスタート時点で、建物に加わる力、すなわち荷重をどう評価するかということが、とても重要な問題となります。
建物に加わる荷重の代表的なものには、建物そのものの自重(固定荷重)、家具やひとの重さ(積載荷重)、地震の際に建物に加わる力(地震荷重)、強風の風圧力による力(風荷重)、屋根に積もった雪の重さ(積雪荷重)などがあります。建築基準法やその他の指針で、これら荷重についてどのように考えて、加わる大きさを数値として出すかということが示されています。
ものごとをプロデュースするという際にも、建築構造の設計時に荷重のことを考えるのと同様に、そもそものスタート時点で、あるプロジェクトならあるプロジェクトの実施にあたって、逃れられようのない制約条件について押さえておく必要があります。
ここで、難しいというか、面白いというか、念頭においておきたいことがあります。それは荷重というものが建物があって初めて出現するものだということです。何もない大平原では、風速何十メートルの風が吹こうと、それは単に風がふいているという自然現象でしかありません。地震においても、いくら激しく地面が揺れようとも、そこに重さを持つものが地面とくっついていなければ地震で壊れるものはないといえます。建物そのものの重さも、当然建物自体があるからこそ、存在する荷重です。で、面白いことというのは、荷重がどれぐらいのものかを決める際には、建物の大きさや重量が分かっていなければならないということです。
建てる前、設計する際に、建物の安全性を評価しようとして、そのスタート時点で荷重のことを考えなければならないのだけれど、その荷重は、建物の大よそのことが決まっていないと決まらないのです。で、どうするかというと、大よそこの線で行くということを、エイヤーの勢いで決めてしまいます。構造計算のスタートはそこから始まります。
実際には、デタラメに最初の設定をすると、何度も計算をやり直さざるを得なくなります。経験というものが大いになる助けとなって、だいたいこの線でいけそうだという寸法などにして設計が始められます。
何らかのプロジェクトにおいても同じことがいえます。そのプロジェクトにおいて、逃れられない条件、必ずそれに対応しなければならない条件について、それは必ずしもプロジェクトの開始時点で決まっているものでなく、ある程度プロジェクトの姿がはっきりしてきてから具体化されてくるものだったりします。そのため、最初の滑り出しの時点では、おおよその見込みをつけて、エイヤーの勢いで見切り発車することが必要です。そこでは経験がものをいい、すでに経験済みのプロジェクトがどうであったかを考えて、あたりをつけてスタートすることがリスクを少なく進めていくことができます。まったく、これまでに経験してこなかった新たな形のプロジェクトに取組むときにも、自分自身の体験にしろ、他人の成果にしろ、ありとあらゆる過去の例を引っ張り出して、その参考となるものから、あたりをつけるということが重要です。ということを考えていくと、新たなプロジェクトを推進するにあたっては、いかに過去の事例をストックしておくことが重要であるかということに気づきます。
まとめのメモ
プロジェクトを開始する時点では、
そこで向き合わなければならない制約条件の詳細は明らかではない。
そのため、条件の概要についてのあたりをつけてからスタートさせることになる。
リスクをすくなくするには、過去の経験や例をもとに、あたりをつける必要がある。
新しいことをする際には、過去の経験をストックしておくことがとても重要である。
投稿者 T. Iwasaki 時刻: 11:57 0 コメント
ラベル: 構造屋さんのプロデュース発想法
はじめに?
最近、いろいろなものをプロデュースしているともいえる活動の中で、自分自身がその手法や発想法をどこで学んだのかと自問したとき、建築の構造学について学んだり研究したことが、そのまま役に立っていると言えそうなことに気づきました。
今の時点で、建築の構造設計をなりわいにしている訳ではないのですが、構造屋さんのプロデュース発想法というラベルを貼って、思いつくままのことを書きとめておくことにします。
プロデュースという言葉は、いろいろなものをあわせて何かをつくりだすことだと、私自身は理解しています。あわせるという言葉において、そのあわせ方はさまざまで、前にもブログのどこかに書きましたが、数多くの「あわせる」のつく言葉があります。組み合わせる 重ね合わせる すり合わせる 突き合わせる 絡み合わせる などなど、もの同士、ひと同士、ひとともの、いろいろなものをあわせることを意味する言葉があります。それらの言葉が言い表すようないろいろな、ひと、もの、ことを合わせていくことにより新しいものを作っていくことができます。そうすることをプロデュースと呼ぶことにします。
建築を設計する際に、それを現実のものに仕立て上げるためには、構造のことを考えることは避けて通れません。構造のことを考えるというのは、決まりきった計算手順で単に構造計算をすれば良いというものではありません。さまざまな材料をどのように組み合わせて、力学的な理屈にかなうものにするかということを考えるとともに、つくり方、費用、時間等のことも考え合わせて、形あるものに導くストーリーを考えなければなりません。それらを建築デザイナーがかなりのところまで考える場合もあれば、建築デザイナーのイメージを形にするために構造設計者がサポートするという場合もあります。
(タイトルには構造屋さんとしましたが)構造設計者が、さまざまなことがらを組み合わせて形あるものをつくり上げるというストーリーが、先に書いたプロデュースするという行為そのものであるといえます。実際に構造設計について考えるネタのようなものが、建築をつくること以外で、プロデュースするという話につながるかということを確認していってみたいと考えています。
投稿者 T. Iwasaki 時刻: 11:35 0 コメント
ラベル: 構造屋さんのプロデュース発想法
かまわぬ という風呂敷専門店が東京駅の中で先ごろから営業を始めているまめぐいというお店が繁盛していました。27cm角の手染めの布を販売していて、小さな直方体のパッケージに入ったお菓子と併せて買うと、風呂敷包みのようにお菓子の箱が包まれ、お土産として格好の品となります。まめぐいは、東京駅の中の店でしか販売しないそうです。
値段、大きさ、種類の豊富さなど、全ての要素が人気のお土産品となる条件として合ったものとなっています。
この店を企画された方の発想に感服しました。
ちなみに、1枚自分のものを買いました。
デジカメをくるむ布として使うつもりです。
国際技能五輪の会場に
日本建築専門学校の学生が製作したモニュメントが
展示されていました。
東大寺南大門の様式を用いてデザインされたものです。
柱の間を通り抜けるデザインになっていたのですが、
初めはそこを通り抜ける人は多くありませんでした。
急きょ、粘着テープを矢印の形に床に貼って、
通り抜けることができることを示唆する形にしました。
たちまち、多くの人がその中を通り始めました。
また、見上げてみていただために、
中央に足型とLook up!の文字をテープも貼られました。
すると、その足型の位置に立って多くの人に見上げていただくことになりました。
良いもの、見せたいもの、があるとき、
その矢印や足型など、そこにあるということが分かるサインの存在が
いかに大切であるかということについて、改めて考えさせられました。
モニュメントの製作関係者によるブログのアドレスです。
http://d.hatena.ne.jp/fujisan-cam/
次週12月2日(日)には、
その日本建築専門学校で木造耐力壁ジャパンカップの決勝トーナメントが開催されます。
世界を動かした名言 J.B.シンプソン 隈部まち子訳 野末陳平監修
講談社+α文庫
短くて気のきいた英文を探していたら、次のようなものを見つけました。
スティーブン スピルバーグの言葉だそうです。
I dream for a living.
短いながらも、簡潔に生きる目的について、実にうまく言い表しています。
夢と生計を立てて生きるということは相矛盾することではないということが、
この一言にこめられているように思えます。
スピルバーグの言葉だと紹介されているので、
より説得力があるように感じるだけなのかもしれませんが、
そうであることを除いて考えてみても、
なかなかの名言だといえます。
書店や文具店などの店先に来年の手帳が並び始めました。
大きさもデザインもさまざまで、いろいろ手にとっては買う買わないを迷ったりします。
でも、私自身は、来年のものを買うことは、ないと思います。
実は、4月以降、
スケジュール管理は、A4の半分A5に1ヶ月分の予定を書き込んで行っています。
職場のグループウェアには、職場での情報開示の必要性から、
やむなく、その用紙に書いた予定を入力しています。
紙の表自体は、Excelでつくった簡単なもので、
日付順に行があり、横軸に1日の時間軸をとってあります。
1年分で12枚、たったそれだけのものです。
狭い隙間に、予定をちまちま書くのですが、
半年以上経っても、どうやらこれで十分で、それ以上のものは必要ありません。
月を越えての確認も一望できます。
デザイン性のすぐれたものでは、まったくないので、
おしゃれな小物として手帳を持ちたいとというニーズにはまったく応えていませんが、
スケジュール管理は、この表のみで大丈夫です。
携帯、iPod、Googleなど、電子的なスケジュール管理のツールは、
立ち上げないと見られないという欠点がることはさることながら、
全体を一望できないという致命的な欠点があり、
それを乗り越えて使いこなすことはできそうにありません。
日々のスケジュールを把握して、いきいきとした生活を送るためには、
日々あることを常に一望できるようにしておけば良いだけで、
デザインなどを気にしながら手帳選びをすることなどは、まったく不要で、
どうやら高価な手帳やアイデア一杯の手帳も不要だと確信しています。
(少なくとも私自身にとっては、のことですが)
iPod nanoの小さな画面で見る映像の鮮明さにビックリしました。
とても良くできたおもちゃです。
今や大きな画面と通信機能をも持ったiPod touchが主流になりそうですが、
それでもnanoのコンパクトな本体とその映像の鮮明さの取り合わせには感激しました。
一方、三洋のムービーデジカメのXactiを使ったりしていますが、
H.264という圧縮形式で、撮影した画像をメモリーカードに記録します。
nanoの扱う動画のファイルもH.264の形式で圧縮されたものなのですが、
それとXactiの形式は異なるらしく、結局、見ることのできる形式に変換する
作業が必要となります。
スピーディーにやり取りできないことが残念でなりません。
いろいろなものをつなげていくことに
どれだけ役立つかは分かりませんが、
FLO.Q(フロークと呼ぶそうです)で結構遊べてしまいます。
ホームページやブログを
どのような位置づけのものとして使っていくかは、
世の皆様方もまだまだ模索中という段階でしょうか。